それは、真夏の湿った空気が部屋に充満していたある午後のことでした。私は、足の踏み場もないほど積み重なった雑誌やコンビニの空き容器を見つめ、不意に強烈な虚しさに襲われてしまいました。どこでボタンを掛け違えたのか、かつては誇らしかった自分の部屋が、今では自分を追い詰める檻のように感じられたのです。脱汚部屋を決意した瞬間、私はまず窓を全開にしました。外から入り込む新鮮な空気は、停滞していた私の意識を少しだけ揺り起こしてくれました。作業の開始は、玄関からと決めました。避難経路を確保するという物理的な理由もありましたが、何より家の入り口を整えることで、自分自身の運気が変わるような気がしたからです。溜まりに溜まった郵便物を一つずつ仕分け、不要なチラシを迷わずゴミ袋に放り込んでいく作業は、最初こそ苦痛でしたが、次第に一種の瞑想のような感覚に変わっていきました。物を捨てるという行為は、過去の執着を一つずつ手放していくプロセスに他なりません。数年前に着るつもりで買った一度も袖を通していない服や、使い道の分からない電子機器のアダプターなど、今の自分には必要のないものばかりがこの部屋の主人の顔をしていたのです。床が少しずつ見えてくるたびに、私の心には不思議な軽やかさが宿り始めました。最も困難だったのは、思い出の品々の処理でした。しかし、物はその役割を終えた時、感謝と共に手放すことで、思い出は記憶の中でより純粋な形で残るのだと自分に言い聞かせました。脱汚部屋の過程で私が得た最大の収穫は、自分がどれほど多くの「いつか使うかもしれない」という不安を抱えて生きていたかを知ったことです。その不安をゴミ袋に詰めて外に出した時、私は初めて自分の人生の主導権を取り戻したと感じました。床の上を自由に歩けるという当たり前のことが、これほどまでに贅沢で幸せなことだとは、汚部屋にいた頃の自分には想像もできないことでした。