結婚した当初、私たちの新居は光に溢れ、すべてが整然としていました。妻は明るく、掃除も行き届いており、私は仕事から帰るのが楽しみでなりませんでした。しかし、その幸せな光景がいつから崩れ始めたのか、正確な時点を特定することは困難です。最初は、リビングの隅に置かれた段ボール箱一つでした。それが二つになり、ソファを占領し、やがて床が見えなくなっていきました。私の妻は、決してだらしない人間ではありません。むしろ、外では非常に几帳面で、仕事も完璧にこなす女性です。しかし、その完璧主義という名の呪縛が、彼女の精神を少しずつ削っていったのです。仕事で疲れ果て、完璧な家事ができない自分を許せなくなった彼女は、ある時から一切の片付けを放棄しました。私が「片付けようか」と提案するたびに、彼女は自分を否定されたように激昂し、あるいは深く沈み込んで何日も口を利かなくなりました。彼女を守りたいという一心で、私は彼女の機嫌を損ねないよう、部屋が荒れていくのを黙認し続けました。これが、我が家がゴミ屋敷へと転落する決定的な一歩でした。数年が経過した今、私たちはゴミの山の間にあるわずかな隙間を縫うようにして歩き、食事は積み上げられた不用品の上のわずかなスペースで済ませています。私たちの間には、物理的なゴミの壁だけでなく、沈黙という名の透明な壁が立ちはだかっています。妻を傷つけたくないという私の配慮は、結果として彼女を不衛生な環境に閉じ込め、私自身の精神をも蝕んでいきました。夜、ゴミの臭いに包まれながら横になる時、私は自分が何を間違えたのかを自問し続けます。愛しているからこそ言えなかった言葉、愛しているからこそ許してしまった怠慢。夫婦という関係において、一方が問題を抱えた時、もう一方がそれを支えるのではなく、共に沈んでいくことがこれほどまでに容易であるとは思いもしませんでした。ゴミ屋敷は、私たちの「優しすぎた選択」の成れの果てです。このゴミの山を崩すことは、私たちの結婚生活そのものを否定することになるのではないか。その恐怖が、今も私にゴミを拾い上げる勇気を与えてくれません。