私の部屋がかつて「ぬいぐるみのゴミ屋敷」と呼ばれていた頃、私はその混沌とした空間こそが世界で唯一の安全な場所だと信じて疑いませんでした。仕事で失敗し、人間関係に疲れ果てて帰宅すると、玄関からベッドに至るまで隙間なく並んだ何百体ものぬいぐるみが、無言の優しさで私を迎えてくれました。最初は、寂しさを紛らわせるために買った一体のテディベアでした。それがいつの間にか、自分へのご褒美や、ストレス発散の手段として増え続け、気づけば床が見えなくなり、窓さえも塞がれていきました。ぬいぐるみの山は、私の弱さを隠すための防壁だったのかもしれません。しかし、山が高くなればなるほど、現実の私はその重圧に押し潰されそうになっていました。埃が舞い、カビの臭いが漂う部屋で、かつて可愛かったぬいぐるみたちは次第に薄汚れ、目だけが虚ろに私を見つめるようになりました。私が脱出を決意したのは、ある夜、一番大切にしていた犬のぬいぐるみがゴミの山に埋もれて潰れているのを見つけた時です。「私はこの子たちを愛しているつもりで、実は窒息させていたんだ」という事実に気づき、激しい自己嫌悪に襲われました。片付けの作業は、地獄のような苦しみでした。一体をゴミ袋に入れるたびに、その子が泣いているような幻聴が聞こえ、手が震えました。それでも私は、一日に五体ずつ、感謝の言葉をかけてさよならを言うというルールを自分に課しました。汚れがひどいものは処分し、比較的綺麗なものは洗濯して寄付に回しました。部屋からぬいぐるみが減っていくにつれ、止まっていた私の時間が再び動き出すのを感じました。最後の大きなクマを送り出した時、何年かぶりに見た自分の部屋のフローリングは、驚くほど冷たくて、でもどこか清々しいものでした。ぬいぐるみに依存していたのは、自分を愛してくれない他者への復讐でもあり、自分を愛せない自分への逃避でもあったのだと、今なら分かります。今、私の部屋には、一体の小さなぬいぐるみだけが椅子に座っています。数に頼らなくても、私は一人で生きていける。その自信こそが、あのゴミ屋敷から私が持ち帰った、目に見えない唯一の宝物です。