私はかつて、自他共に認めるスニーカーコレクターでした。限定モデルや復刻版の発売日には、朝から並んだりオンラインで争奪戦に参加したりして、手に入れた一足を宝物のように扱っていました。しかし、その情熱がいつの間にか私自身の生活空間を圧迫し、部屋を汚いゴミ屋敷寸前まで追い込んでいたのです。コレクターにとって、靴は単なる履物ではなく、観賞用の美術品に近い存在です。そのため、箱さえも捨てることができず、部屋の中にはオレンジや青の派手な靴箱が天井まで積み上がっていました。最初のうちは整然と並んでいた箱も、数が増えるにつれて崩れ始め、隙間には埃が溜まり、掃除機をかけることすら困難な状態になりました。靴箱の山は、一度崩れ始めると雪崩のように生活動線を塞ぎます。箱の中からお目当ての一足を探し出すたびに他の箱が散らかり、それを元に戻す気力が失われていく。そんな日々の繰り返しの中で、私は自分がスニーカーを愛しているのか、それともスニーカーに支配されているのか分からなくなりました。部屋が汚いというストレスは、さらに新しい靴を買うことで現実逃避するという悪循環を生みました。ある日、山積みの箱の陰から数年前に買ったはずの限定モデルが、カビに侵されてボロボロになっているのを発見した時、私は深い絶望と共に目が覚めました。大切にしているつもりで、実は死蔵させていただけだったのです。脱汚部屋を決意した私が最初に行ったのは、本当に履く靴と、飾っておきたい靴、そして今の自分にはもう必要のない靴を厳格に選別することでした。箱はすべて処分し、中身が見える専用のクリアケースに統一しました。これにより、視覚的なノイズが激減し、部屋の空気が一気に軽くなったのを感じました。部屋の中に靴を置く以上、それはインテリアとしての美しさを保っていなければなりません。管理しきれないほどの所有は、愛ではなく執着に過ぎません。今、私の部屋には厳選された二十足のスニーカーが整然と並んでいます。床が見えるようになり、毎日掃除ができるようになった今の生活の方が、何百足もの靴に囲まれていた頃よりもずっと豊かで、心が満たされています。
スニーカー収集が汚部屋を招く意外な落とし穴